~他人が嫌い、人間嫌いを克服したい、人が嫌いな原因~

「もう少し明るくなった方が良いよ」

これは僕が小学生の頃に良くクラスの女子から言われていた言葉です。

しかし自分では特に暗くしているつもりはありませんでした。

なので心の中ではいつも「?」だったのです。

よく思い出してみれば、

その言葉は、

「もっと明るく接した方が良いよ」

と当時は勘違いしていて本当のところは、

「もっと人と積極的に接していった方が良いよ」

だったのかもしれません。

これだと何だか納得できるところがあるなぁ…

って小学校の頃の自分を思い出してしみじみ感じました。

そうなんです。

僕は他人に積極的に接していくことは当時から苦手意識を持っていました。

決定的な出来事は小学校に入ってまもなくのこと。

小学校の頃はみんなで学校まで登校するのは今も昔も変わりませんね。

僕も例外なく小学校の頃は集団で登校していました…

 

他人が嫌い、人間嫌いを克服したい、人が嫌いな原因

 

1988年、

僕が小学校に入学してしばらく経ったときのこと。

家を出ると所定の場所に集合します。

あれはいつから「羨ましい」と感じるようになったのでしょうか。

所定の場所に集まるともう既に他の人達は集まっていました。

男子は僕を除いて毎日時間がくるまで「鬼ごっこ」をしていました。

それを見ていて「羨ましい」と思っていたのです。

なので勇気を持って、

「僕も寄せて(鬼ごっこに参加させて)」

と一人の男子に訪ねてみました。

そうすると、

「ダメ!」

あっさり断られてしまったのです。

そのときの出来事がかなりショックでした。

どうも心の中では、

「ああ、”やっぱり”ダメか…」

何かそこには”やっぱり”が含まれています。

どうやら僕の信念はそのときから”やっぱり”に関連する”何か”が存在していました。

その”やっぱり”をもう少し心の中で辿ってみると、

「どうせ自分なんて相手にしてくれない」

このような言葉が妥当なような気がします。

ここで既に自己否定に入ってしまっています。

 

そのような心の奥の見えないところで自分を否定している部分があると、

それが現実となって投影され、

目の前の男子が代弁してくれていたのかもしれません。

よく聞く「鏡の法則」というやつです。

それはまるで細胞のDNA配列が予め決まっていて、

そのプログラム通りに顔や体が出来上がっているのと似ているかもしれません。

そのような元が原因で、

「自分以外の全てが悪い」

という付加価値が心の中で芽生えるとこを自分を「正当化する」というのかもしれませんね。

もうこうなっていくと厄介です。

なぜならば心の中でいろんな経験を積むごとに上書きされてしまうからです。

なので大人になってとき、

その原因が分からなくて悩んでしまう。

これが人間嫌いに限らず人間関係の悩みの根本なのかもしれません。

 

話を戻しましてではその”やっぱり”とはどこからきているのか。

それはある日のこと。

僕が保育園の頃だったと思います。

あるとき母親とデパートへ買い物に行ったときのことです。

帰りの確か家から300メートル付近のところだったでしょうか。

そこに大きなパワーショベルがありました。

田舎に住んでいるのでよく田んぼの砂利道に置いてあったりするんです。

僕は興味を持って近づいていきました。

ですが母親はいつものことかと言った感じで見向きもせずそのままスタスタと一人で帰ってしまいました。

「待って!」

あのとき僕は泣きながら訴えていました。

それから似たような場面と何度か遭遇しました。

どうやらこの”やっぱり”はその経験の積み重ねなのかもしれません。

なので、

「どうせ自分なんて相手にしてくれない」

に関連しているのだと思います。

 

しかしそこで感情的になって母親を責めては真実は見えてきません。

そのときの母親を記憶の中で観察してみると、

どうも、

「またいつものやつがはじまった」

と呆れている表情が浮かんでいます。

僕は三人兄弟の一番下です。

きっと子育てに疲れていたのだとおもいます。

適当にあしらうように接することで心の安定を計っていたのだと思います。

それは父親にも同様の姿が見られました。

あのときの記憶も鮮明に覚えています。

父親に関しては、

「あ、これはダメだな」

直感で感じました。

それ以降父親には距離感を感じるようになってしまいました。

 

記憶を冷静に辿ってみると両親は精神的に疲れていたのだな。

そう感じます。

もはや30年くらい染み付いてしまった習慣は、

どうにかしようとあがくこと自体残りの人生を使っても解決しきれるものではないのかもしれません。

そうなるといっそ素直に認めてしまうのが良いのだろうか。

自分は他人との距離感の掴み方が分からない。

そのことを何とかしようとするよりもいっそのこと、

「自分はそのままで良い」

と開き直って無理に変える必要はないのかもしれません。

自分の問題と感じる部分をそのままで良いと感じた上で、

「さあ、どうやってこの先を生きようか」

目的・目標がブレることなく突き進むには、

まず自分を知る必要があるのかもしれませんね。

本当の自分が何者か分からないと目的なんて立てられませんから。

それを人は何かしらの行動を取り続けていくうちに本当の自分が見えてくるのだと思います。

そうやって自分の真実を知る。

それが行動が大切だということの理由だと思います。

長くなりましたがここまでにしたいと思います。

あなたが人間嫌いを克服する為の参考になれば幸いです。