母が末期の癌で亡くなるまで、

他人と関わることをあまり”真剣”になんとかしたいと思ってはいませんでした。

そんなとき、

 

「僕は周りから必要とされない存在」

 

という自分への歪んだ認識は強かったように思います。

なので、

他人との関わりに積極的になれず身を引いてしまうことがよくありました。

 

実は面白いことに人とは「慣れる」生き物で、

このように、

 

「僕は周りから必要とされない存在」

 

と感じて悲しくなるのは最初の頃だけで、

段々とそれに慣れてくると標準化してしまい、

生活スタイルも自然とそれに見合った送り方をするようになるのです。

それを当時15歳のときの僕は180度性格を変えることにより、

リアルに体験しました。

家族は最初こそ同様しましたが、

「慣れて」しまえばそれに合わせた接し方をしてくれました。

 

「私は必要とされていない」という思いを捨てて幸せになる方法

 

「必要とされていない」という思いが人を傷つける

 

必要とされていないから他人に冷たく振る舞ってしまうのかもしれません。

当時僕は、

 

「他人と心を開くことは許されないことだ」

 

まるで自分を戒めるように何かに縛られていたようです。

なので誰かの誘いや助けを求める声にも無感情になっていました。

なにも感じないので平気でスルーできるのです。

 

必要とされていない→拒否しても迷惑が掛からない→それが当たり前

 

こうなってくると他人の気持ちを察することができなくなってしまいます。

なので自分に優しくしてくれる人を気付かず傷つけてしまうのかもしれません。

 

 

誰でも同じ気持ちを抱えている

 

「私は必要とされていない」という気持ちは、

誰にも必ずどこかに潜んでいるようです。

誰の胸の中にもほんのちょっとずつあるもの。

 

大人になって見た目は立派になっても心のどこかに子供の自我が存在します。

 

「私は必要とされていない」
と感じるとそんな子供の自我が出て来てしまうのかもしれません。

ただ幼い子供の頃のようにわんわん泣くわけにはいきません。

そんなとき、

子供の自我を出すために一生懸命出した答えが

 

「私は必要とされていない」

 

という言葉と共に人を避ける行動に至るのかもしれません。

 

人の感情とういのは必ず何かのかたちで出さなければいけないようです。

 

それは脳の機能として組み込まれているみたいです。

 

 

抱きしめてくれたあのときの記憶

 

赤ちゃんの頃はわんわん泣くと両親が抱きかかえてあやしてくれます。

そうそれは、

泣いて悲しいときに誰かに無条件で包んでくれることが、

人にとって何よりも心温まることだと教えてくれているようです。

これが「認める」という本質なのかもしれません。

 

大人になると自分で自分を「認める」ことができないと、

どうやら他人に迷惑を掛けることになるのかもしれません。

そうして世の中を全て憎んでしまうのかもしれません。

 

ですが、

本当は「認めて欲しい」「受け入れて欲しい」

ただこれだけなのかもしれません。

 

毎日どこかで自分に、

 

「よく頑張ったな」

 

このように心の中で自分を「褒める」だけで、

人生というのはかたちを変えて見えるようになります。

あなたがこれからすべきなのはまず自分を「褒める」こと。

そうして今度は他人に「与えて」いけるようになると思います。

 

そろそろ心から納得しない面接に行くのをやめにしませんか?

 

不要な我慢を選択することに価値は見いだせないのかもしれません。

あなたの幸せを心より祈っています。